東京五輪の開会式で話題を呼んだピクトグラムについて

デザイン部
2022年3月15日

昨年開催の東京五輪の開会式で、競技を模したピクトグラム50種を用いたパフォーマンスが行われました。

ネットでも話題になったピクトグラムですが、そもそもピクトグラムとはどのような役割で、どのような歴史のあるものなのでしょうか。

今回は印刷物にも欠かせないピクトグラムについてご説明します。

そもそも「ピクトグラム」とは何か?

ピクトグラム(pictogram)あるいはピクトグラフ(pictograph)は何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号の一つで、一般的には絵文字、絵単語と呼ばれています。
主に鉄道、駅、空港などの公共機関で使用され、文字や文章ではなく視覚的な図で表現することで、言語に制限されずに内容の伝達を直感的に行う事ができます。

もともと人類は、壁画や象形文字などで視覚的な図を使いコミュニケーションをとってきましたが、現在にあるシルエットのようなサインになったのは、1920年に統計学で使用するために作られたのがきっかけであると言われています。
当時はピクトグラムではなく「アイソタイプ」と呼ばれていましたが、統計学とグラフィックデザインを組み合わせる事により、経済動向を誰でもわかりやすくするために生み出されました。

きっかけは東京五輪?ピクトグラムが日本発祥と言われるその理由とは・・・

現在目にしているピクトグラムの形が世に広まったのは1964年以降で、きっかけは日本で開催された東京五輪(1964)でした。

当時の日本人の英語力では、外国人と十分なコミュニケーションをとれる状態ではなかったため、「誰が見てもわかるマークを作ろう」と第一線で活躍する11人のデザイナーを集結させ考案されたのが、競技種目のピクトグラム20種類、シャワー等設備のピクトグラム39種類です。

これらのピクトグラムは、発起人でもあるデザイナーの勝見勝氏の「社会に還元すべき」という考えのもと、著作権が放棄され、全世界に広まっていきました。

ちなみに今では世界中どこでも見かける「トイレ」のピクトグラムですが、男女だけのアイコンが「トイレ」と認識されるまでには年数を要し、一般的になったのは1970年の大阪万博からと言われています。ピクトグラムは高度成長期の大きな二つのイベントに深く関わっていたのです。

非常口のピクトグラムについて

ピクトグラムと言えば緑色の「非常口」が世界的にもポピュラーですが、この非常口のピクトグラムが生まれたきっかけは、1973年に起きた熊本の大洋デパート火災でした。その前年にも大阪で千日デパート火災があり、消防法が見直しされる過程で緑色の非常口が誕生したと言われています。

赤い炎の中では緑が一番映える色であり、「ここを通って逃げて!」という指示がひと目でわかるようになっている素晴らしいデザインのため、非常口はピクトグラムのお手本とまで言われるようになりました。

近年では災害が続いて、水害や津波、土砂崩れなどを示すピクトグラムも見直され、よりわかりやすく改善されている傾向にあります。
このようにピクトグラムが誕生する背景には、事件や災害などがきっかけとなるケースは非常に多いです。

「アイコン」との違い

ピクトグラムと似ているものにアイコンがあります。

パソコンのデスクトップやスマートフォンの画面に並んだアプリケーションを示すのに使われるのが「アイコン」です。

アイコンはアプリケーションのロゴやファイルの種類をデザイン化したものであり、ユーザーは視覚的にアプリケーションを認識し、直感的に操作を行うことができます。

「アイコン」と「ピクトグラム」・・・

一見すると同じにみえますが、両者は全くの別ものです。アイコンはピクトグラムほど極端に単純化されていないのが大きな違いです。また、色もピクトグラムが2色なのに対し、複雑な色を使って表現することができます。

ピクトグラムが初見でも理解できる情報伝達を目的としているのに対し、アイコンはある程度情報を知っている人に向けて作られているのも特徴です。

まとめ

ピクトグラムは身近なデザインの一つです。一見すると単純で簡単そうなデザインですが、その裏には多くのデザイナーたちの思いや、どのように単純化すべきかという苦労が込められています。

ピクトグラムを見かけたら、なぜこのようなデザインにしたのかを想像してみるのも面白いと思います。

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