印刷会社にとって改元は特需?

営業部
2019年3月30日

2019年4月30日で平成が終わり、5月1日から新元号になります。

改元に伴い印刷業界は揺れに揺れ?2019年用のカレンダーはGWの休日がどうなるか?で、カレンダー自体の印刷が遅くなり、カレンダーに刷り込む作業に影響が出て納期が遅れるとの噂を聞き、早め早めの受注で何とか乗り切りました…

 

今回の改元は、崩御による昭和から平成に変わった時とは違い、 生前退位なので準備期間があり4月1日発表との事、問題なく対応は出来ると思いますが…30年前の平成に変わった時の話や、そもそも西暦でいいのに元号って何?明治・大正・昭和・平成ってどうやって決まった?新元号の予想は?等話をしていきます。

 

元号とは?

先ず元号とは、前漢の武帝の時代の中国で生まれて、朝鮮・日本へ渡ってきた年の数え方だそうです。日本の最初の元号は大化の改新で有名な「大化」(645年)です。それ以前は元号ではなく、時の天皇の名前で「○○天皇○年」と表していたそうです。

中国や朝鮮はすでに無くなって日本だけがこの伝統を守っています。今の「平成」に至るまで、1300年余りの間に247の元号が使われてきました。日本ではかつて天皇の代替わりだけではなく、自然災害などを理由に改元が行われ、天皇一代で8つの元号が使われたという記録もあります。

1番長く続いた元号は昭和(62年14日)で、1番短かった元号は鎌倉時代の暦仁(りゃくにん)74日、天災のため改元したとされています。

※また日本には「皇記」という日本の紀元を、日本書紀にしるす神武天皇即位の年(西暦紀元前六六〇年)を元年として起算したものもあります。

 

 

1「一世一元制」

明治の改元の際に、こうした慣習は改められ、天皇一代に使う元号を1つとする「一世一元制」が採用され、明治22年に発布された旧皇室典範には「一世一元制」が明記されました。また明治42年に交付された登極令では皇位継承後、直ちに元号を改めることや元号は枢密院に意見を求めたあと、天皇が定めることなどが定められました。戦後、日本国憲法が施行されるのに合わせて旧皇室典範が改正され、登極令も廃止されると、元号に関する一切の規定が失われます。元号はその法的根拠を失い、いわば漂流することになったのです。

 

2旧元号法案

政府は昭和21年、日本国憲法が公布されてから施行されるまでの間に、元号の根拠となる元号法の制定を目指したものの、GHQ=連合国軍総司令部の反対に遭い、断念しました。

その後、保守層に加え、与党内からも元号の法制化を求める意見が強まったのに対し、当時の社会党や共産党などの野党は反発。元号の存廃をめぐる議論は、政治の表舞台でも繰り広げられることになりました。

3世論調査結果から元号法制定へ

そこで政府は元号についての世論調査を実施しました。昭和52年の調査では、元号制度について「あった方がよい」と回答した人が全体の8割近くを占め、政府は法制化に向けてかじを切ります。

4元号法公布の御名御璽

昭和54年、「元号は政令で定める」と「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」という2つの項からなる元号法が成立。元号は法的根拠を取り戻しました。

 

しかし、「大化」から「昭和」に至るまで、およそ1300年にわたり天皇みずからが決めてきた元号の位置づけは大きく変わり、元号は政府が法律に基づき政令で定めることになりました。

このとき政府は、改元の具体的な手続きについても整理しました。元号法の施行後、閣議に報告された「元号選定手続」では4段階に分けて記されています。

 

(1)候補名の考案

総理大臣が若干名の有識者に候補名の考案を委嘱。有識者は2案から5案程度の候補を、その意味や典拠などの説明を付して提出します。

 

(2)候補名の整理

総理府総務長官(今の官房長官)が、▽国民の理想としてふさわしいよい意味を持つ▽漢字2字▽書きやすい▽読みやすい▽過去に元号やおくり名(天皇や皇后などの崩御後の呼び名)として使われていない▽一般的に使われていないといった6項目に留意し、候補を検討・整理。総理大臣に報告します。

 

(3)原案の選定

総理大臣の指示を受け、総理府総務長官、官房長官、内閣法制局長官(今の官房長官と内閣法制局長官)が会議を開いて候補を精査。原案として数個を選び、全閣僚会議で協議したうえで、衆参両院の正副議長の意見を聞きます。

 

(4)新元号の決定

最後に元号を改める政令を閣議決定し、新元号は決まります。昭和天皇が78歳を迎えられていた昭和54年、「昭和」の次の改元に向けた手続きが明文化されました。

元号に使われた72文字

新たな元号を探るため、過去の元号を調べてみました。これまでの247の元号で使われた漢字は、延べ504文字。単純計算の247×2(文字)で延べ494文字とならないのは、奈良時代に「天平感宝」、「天平勝宝」、「天平宝字」、「天平神護」、「神護景雲」の漢字4文字の元号が5つあったためです。

元号一覧(1) 西暦645年〜

 

元号一覧(2) 西暦1124年〜

 

元号一覧(3) 西暦1350年〜

 

この504文字を整理していくと、実際に使われたのは72文字の漢字に限られることがわかります。

 

さらにこの72文字を使われた回数が多い順に並べると、

▽「永」が最も多く29回

▽「元」と「天」が27回

▽「治」が21回

▽「応」が20回

▽「正」「長」「文」「和」が19回

▽「安」が17回

▽「延」と「暦」が16回などと続きます。

 

同じ漢字が何度も使われていることからも、「元号選定手続」で示されたような、「よい意味を持ち、読みやすく、書きやすい漢字」というのは、極めて限られているのではないかと考えられます。

 

明治から平成までの由来

「明治」の出典は、『易経』の中に「聖人南面して天下を聴き、明にむかいて治む」聖人が南面して政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まる、から…

「大正」の出典は、『易経』の「大亨は似って正夫の道なり」天が民の言葉を嘉納し、まつりごとが正しく行われる、から…

「昭和」の出典は、『書経』の「百姓昭明、協和万邦」国民の平和と世界の共存繁栄を願ったもの、から…

「平成」の出典は、『史記』の「内平かに外成る」と『書経』の「地平かに天成る」内外、天地とも平和が達成されるとの意味から…名付けられました。

 

『易経』とは、五経の一つ。儒家の重要な経典。宇宙の原理・万象の変化を陰陽二元をもって説き、人間道徳も消長して万物を生成する天道に従うべきだと説く。

『書経』とは、五経の一つ。上は尭舜から下は秦の穆公(ぼくこう)にいたる政治史・政教を記した中国最古の経典。

『史記』とは、二十四史の一つ。黄帝から前漢の武帝までのことを記した紀伝体の史書。

 

新元号の決め方

では、新元号はどのように決められるのか?いくつか注意点があるようです。前述した内容を簡単に言うと…

①漢字2文字 ②書きやすい ③読みやすい ④俗用されていないもの ⑤これまでに元号、又はおくり名として用いられていないこと ⑥ローマ字のM・T・S・H以外 で決まるとの事。

ちなみに、明治の時は天皇がくじ引きで決められたそうです。また、大正以降の元号最終案は、「大正」は天興・興化、「昭和」は元化・同和、「平成」の時は修文・正化だったそうです。

 

そろそろ次の元号の予想です。たぶん下記の漢字の組合せで決まるのではないかと…

上記の表を参考に考えると、頭の中に浮かんできましたか?安・永が付きそうな…

 

 


まとめ

では、遡る事30年前の昭和から平成に変わった時のお話です。

その頃は、DTPのデの字もなく写植・タイプ・活版の時代でした。なので新元号の平成が決まった時点で、”平成”や”平成 年 月 日”だけフォントサイズ変えて準備して、版下(懐かしい)に自分で都度貼って校正後印刷していました。また、医療機関の印刷物には生年月日を記入する事も多く”明・大・昭・平”や”M・T・S・H”も…

当然変更の費用は掛かるので、売上げは上がった記憶があります。改元で忙しくなり製作室的には大変ですが、売上げを上げるチャンスと営業は考えています。同時期に用紙や印材等の値上げもあるので、タイミング的には良かったかと思います。

今回の改元で西暦に切り替える得意先もありますが、世界でも日本しかない文化を大切にしたいと思うのは自分だけでしょうか?